運命の人

「運命の人」
生まれてくる前からこの人に出会うために生まれてきた、って感じるような。
誰もがきっと求めているそんな相手。
たった一人のひと。
代わりのない人。


私にとっては、


魂でつながれる人。
魂が寄り添える人。
魂が求める人。
魂を高めてくれる人。


打てば響く、
気持ちが届いてほしいところに届く、
言葉とか超えて、
ただ純粋にそう感じられる。


何もしなくても、ただそばにいるだけで、同じ空間にいるだけで、自然と満たされてしまう。
とてつもなく心地が良くて、
安心できて、暖かく、安らかで、穏やかな気持ちになれて、
それでいてキラキラした気持ちになれる。


暖かいエネルギーに満たされて
不安も、恐怖も、怒りも、痛みも、なんにも入ってくる余地がなくなって、
普段ならちょっと眉をひそめそうなことでも、いっしょにいるとぷっと吹き出しちゃったリ、気を揉むようなことも、そんなくだらないことなんてどうでもよくなって、
自分が最も良い心の状態、好きな自分で自然にいられて、
優しい自分であったり、寛大な自分であったり、やる気にあふれたり、
無理してじゃなくて、
自然と笑顔になっている。


透明の球体の中のようなその人と自分のいる今この空間とこの時間
外界の邪気、邪念、自分の煩悩も、何も心に入りこめない、
何も気にならなくなって、耳にも、目にも入らない、
その人の声以外意味をなさないノイズになって、
背景がおもいっきりぼけた写真のように、
その人と自分だけの世界、空間ができる。
一瞬、一瞬が永遠になる。


その人がその人でいてくれたらただそれだけでよくって、
何をしていようがしていまいが
何をしてくれるとかそんなことどうでもよくって、
特別なことをしていなくたって、
ありきたりの時間が輝いて、
その人が自分のことをやっていて、私も自分のことをやっていて、
話さなくたっていい。
ただそばにいるだけ、一緒に時を過ごすだけ、同じ空間にいるだけでいい
離れている時も
魂でつながっている


一時の激情とか、激しく求める気持ちじゃなくって、
年月を経ても静かな強い消えない炎、尽きることのない気持ち。
良いとき、楽しいときだけじゃなくって、
いっしょにいられない時も、
困難や障害にぶつかったときも、この人となら一緒に乗り越えられる、
きっといつか笑い話や良い思い出にできる、
刺激しあったり、この人の良いところからたくさん学んだり、いっしょに成長できる
って信じられる


あるとき、ああこの人なんだ、ってわかると、
自分がその人以外の誰かを求めることはない、っていうことを自然と悟る。
すべてが腑に落ちる。

気持ちを「流す」

感情は常に動き続けている。


時には穏やかに、時には激しく。
上がったり、下がったりを繰り返し。
小さな波、大きな波、
水面に浮かんでは消える泡のように様々ななイメージが浮かんでは消え、
わたしたちの心を作っている。


いつも喜びを感じたり、楽しい気分、幸せな気持ちで過ごせたら、と誰もが願うところだろうけれど、
ネガティブな感情というものはどうしても避けられないものだと思う。


ネガティブな感情を感じないようにする、無理やり言い訳をこじつけてポジティブに考える、というのは不自然かつ無理な話で、
感情を抑えつけるか、自分を欺くことにしかならない。


大切なことは、ネガティブな感情を感じないようにすることではなく、
いかにネガティブな感情に「とらわれない」「とどまらない」ようにするか、ということ。
それは自分を欺くことでも、現実逃避でもない。


気持ちに「流される」のではなく、気持ちを「流す」ということ。


常に流れている水は澄んでいる。
流れが滞った水は淀んで、濁ってしまう。
心も同じこと。
流れている心は澄んでいて、流れの滞ってしまった心は濁ってしまう。


ネガティブな感情に対応する3原則。

  • ネガティブな感情に焦点をあてない
  • ネガティブなことをいつまでも考え続けない
  • ネガティブなことを何度も思い起こして考えない


自分でネガティブな感情を「引きとめない」ということ。
そして自分でその感情にとどまらない、捕らわれない、ということ。
それを決めてしまうこと。


どんな感情や考えでもそうなんだけれど、
繰り返し思うこと、考えることはそのたびにその感情や考えが強くなって、
さらに思い起こしやすくなって、そのたびにもっと強くなる。
(小さな浅い川に大量の水が流れ続ければ川が深く太くなってしまうように、脳のその部分の感情回路が電流が流れ続けることによって強化されてしまう)



ネガティブな気持ちは思い起こして考えれば考えるほど、
その気持ちや考えが心に浮かびやすくなって、
さらにその気持ちが強くなってしまう、ということ。
悪循環が強化されて抜け出せなくなっていく、ドツボにはまってしまう。


ネガティブな気持ちになったとき、
そのものごとの事実はちゃんと受け止める、感じたままのネガティブな感情も認める(容認する、という意味ではなく、あるがままに「認識する」)、
しっかりと記憶に刻んで(きちんと対処、対応するために)、感情は「流す」。


トイレの水を流すみたいに。
ボタン押すのでも、レバーでも、
水がざっと流れていく様子を想像するとやりやすい。(笑)
Flush, done! (ジャーっ、終わり!)
ネガティブな気持ちを流してしまう。
それでもまた浮かんだら、また流す!


ネガティブな気持ちを流すなんて、すごく難しそうだけど、
一度そうするときっぱり決めてやってみると意外と簡単。
それが習慣になると気持ちも楽になってくれば、自分自身や周りのものごとの流れが良くなってくる。


おためしあれ。

時間とエネルギー=命

以前はいろんなことに腹を立てることがしばしばあった。
気分が滅入ったり腹が立つことを何度も思い起こしてしまうことも。
それはもうやめた。
どんなネガティブな感情に対しても同様に。


時間とエネルギーは有限だから。


1日は24時間。
1日に使えるエネルギーには限界がある。



自分のお金をどぶに捨てたいとか、無意味に無駄に使いたいという人はまずいないと思うけれど、自分の時間とエネルギーを無駄に浪費することをなんとも思わない、というか、無駄にしていることにも気づかない人が多いのではないだろうか。


たとえば、誰かや何かに腹を立てたとして、
何度もそのことを思い出し、いつまでもそのことばかり考えていたとしよう。
そのたびにエネルギーを消耗して、時間を嫌な気分で過ごすことになる。
たとえば、それがお金だったとして、
そのエネルギー、その時間、いくらになるのか?
いくらで買えるのか?


エネルギーも時間もお金では買えない。
エネルギーは回復させることができるかもしれないけれど、もっと楽しいことや意義のあることのために使える。
時間は取り戻せない。


エネルギーと時間は有限。
自分に与えられた貴重なもの、大切なもの。
地上にいる間にある「命」=「時間とエネルギー」
なのではないだろうか。


「あなたの命、ただでくれますか?」と言われたら「冗談じゃない」と思うだろう。
でも、誰かや何かに腹を立てたり、いつまでも否定的な感情にとどまることは、
すなわち「自分の命(時間とエネルギー)をそのものごとや相手にただでくれてやっている」ということになる。


そんなこと、冗談じゃない、まっぴらごめん、って思う。


大切な人のためや、自分が喜びを感じるもの、
何かを学んだり、作ったり、良い先につなげていくもののために使いたい。