「あるがまま」にものを見る

「あるがまま」「ありのまま」にものを見る、ということ。


ただそこにあるものをそのまま見れば見えるのに、脚色してしまったり、自分で余計な意味をつけてしまったり、
心の中の歪んだレンズや着色フィルターを通してでは、あるがままにものごとは見えない。


人間はすべてのものごとに意味を求める。
理由や答えを探そうとする。
そして何の意味もついていないものごとにでも、
自分の「快」「不快」にもとづいて、憶測や希望、願望や不安や恐怖からイメージを膨らませたり、
無意識に関係のないものごとどうしをを関連付けて、無理やりにでも意味をこじつけたり作り出したりしてしまおうとさえする。


そして「良い」「悪い」、「正しい」「間違っている」で判断しようとする人もまだ多い。
○○はこうだから、正しい、間違っている、良い、悪い
何が正しい、どちらが正しい、
まるで万人に対する唯一絶対の答えがあるかの如く。


「わぁ、良いお天気~」、といえば「晴れ」を誰もがイメージするだろうけれど、
たとえば干ばつ続きの土地ならば「良いお天気が「どしゃぶりの雨」かもしれない。


良い人、悪い人、良いこと、悪いこと、
それはもちろん、
嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、悔しいこと、腹が立つこと、
自分にとって、自分の周りにとって、多くの人にとって、
と、それぞれいろんな規模にとってあること。


立場を変えると、それが全く違う意味や、逆の意味になったり、
それが一個人にとって、小さなグループにとって、大きな集団にとって、
であったり、


じゃあ何が、どちらが「良い」「正しい」、「悪い」「間違っている」と唯一絶対の答えを探して判断しようと考えるのではなく、


ただそのものごと、事実があるだけ、ということ、
そのものごとには、良いも悪いも、正しいも、間違っている、も
何の意味もついていなくて、
ただそのものごとがそのままあるということ、それをありのまま見るということ。


誰か人についても、
「嫌な人」「好きな人」と感情ベースで判断して、「良い人」「悪い人」と頭で決めつけようとするのではなく、


このような状況ではこう反応する人、であったり、


どんなものごとや人にしても、
「良い」「悪い」で判断していると、
関係のないことまで「良い」人だから、「悪い」人だから、
と結びつけてしまうことになって、
本質が見えなくなってしまう。


「良い」「悪い」も、状況次第、立場次第、規模次第、
で見え方が変わるものであること、


ある状況で「良い」とされていることが別の状況だと裏目に出てしまうこともあれば、ある状況では「悪い」とされていることが強味になることもあれば、
もちろん自分個人にとって不都合であったり、不快であったり、有害であったり、
また好都合であったり、喜ばしいことであったり、有益であったり、
多数の人にとってもそうであること、そうでないこと、
いろいろとある。
すべてひっくるめて「ただそういうこと」であるということ。



いろいろなものごとや人に対しても、
ただそのものごとや、人をそのままに、
○○だから良い、○○だから悪い、
をつけずに、見ること。


そこに何の意味も探そうとせず、何の味も付け加えずに見るとそれそのものの、ありのままの姿が見える。