「信じる」っていうこと

「信じる」っていうことは、「知っている」っていうこと
「そうあってほしい、こうあるべきだ、って願って思い込もうとしていること」とは全く違う。
それが「当たり前のこと」みたいに、ただ「わかっている、知っている」みたいな感じで、「確信している」っていうこと。
科学的に根拠があるとか証明できるとかそういった次元の話じゃなくって。


そこには疑う余地なんてほんのちょっともなく、
「信じられる、信じられない」なんて葛藤も存在しなければ、揺らぐこともない。
だってただ「そうだ、って知っている」から。


「信じてる」の「信じてた」の、「信じてたのに」なんて
揺らいだり、崩れたりするのは、
「信じてる」「信じてた」んじゃなくって、
そうあってほしい、そうあるべきだから、って
願っていただけ。


「信じたいから信じる」もなくって、
ほんとうはただ、「そうあってほしいから、そうあってほしいってひたすら願い続ける」、思い込もうとする、思い込む、それだけのこと。
それを自分でわかっていないだけのこと。


それが良いとか悪いとか、そういう話でもなくって、
自分でそれがわかっていれば違う。
誰かとか何かに期待すること、
それが叶えられることが当たり前だと、そうあるべきだって思い込むこと、
それがなければ、余計に傷つくこともなく、


誰かなり、何かなり、
「信じてる」「信じてない」、「信じられる」「信じられない」じゃなくって、
自分はただ「そうあってほしい、と強く願っている」んだって、
それだけでいいんだと思う。


本当に信じられるときは、「信じる」「信じてる」の考えたりすることもなく、「知っている」「わかっている」はずだから。



これ、ピンとくるひとってどれくらいいるんだろう。
何パーセントくらい。
どうでもいいか。(笑)