エネルギーを与える人、奪う人

自分に良いエネルギーを与えてくれる人
自分のエネルギーを奪う人


自分がもらう、受け取る立場でなく、与える側で見て、


人に何かを与えたり、喜ばせたり、褒めたり、その人のために何かをすると、
それが相手の望んでいることであれば、当然のことだけれど相手は喜ぶ。
ピンポイントでどんぴしゃであればあるほど大きく喜んでくれたり、感激されたり。


受ける側の人間には2タイプある。


タイプ1
自分が与えたり、褒めたり、喜ばせれば、
その気持ちを受けるにふさわしいように、と頑張ったり、良くなっていったり、成長していったり、良いことをしていく人、良いエネルギーをたくさん出してくれる
そのこと自体で十分なんだけど、与えてくれた人にも何かしら良いものを返そうとする人
感謝の気持ちを忘れない人


こういう人のために何かをしたりすると、満たされたり、お互いに向上し合っていけたり、気持ち良く物事が運んだり、気持ちの良いことがどんどん増えていく


一方、
タイプ2
与えられたり、褒められたり、喜ばせられたら、
すぐに頭に乗る、それが当たり前になって、ありがたいとも思わなければ、きりなくもっともっとと求める、与えないと悪いエネルギーを向けてくる


こちらのタイプを「エネルギーバンパイア」とか「クレクレ星人」と私は呼んでいる。
喜ばせれば、金をせびりに来る放蕩息子のごとく、いつも自分が良い気分にさせてもらうことを期待して、要求して、寄ってくる、つきまとい、ヒルのごとく人の時間やエネルギーを吸い取っては、消耗させる。
言葉だけでは、感謝してるとかありがとう、とか言っても、
どれだけ相手の気分を上げたり、気持ちを良くしたところで、
与えたエネルギーも時間もあっという間に浪費して、
またすぐに戻ってきては良い気分にしてもらうことを当たり前のようにせがむ。
本人だって自分が何を求めてるとか理解もしていなければ、口に出して言うわけじゃないけれど、ね。


このタイプは自分のききたいことしか聞きたくなければ、やりたいことしかやりたくないわけで、自分にとって都合のいいことだけしか欲しくないわけで。きちんと物事に向き合ったり、何かに真剣に取り組んだり、そんな面倒なことしない。
お気楽なこと、お気軽な楽しいこと、口先だけの良いことを言ったり、ちょろい感じでできちゃう範囲のことだけ。
だから空しかったり、満たされないものを他人に満たしてもらおうとする。
そしてどれだけ与えられてもいつも足りなくて、
嬉しかったことも、一日二日もすれば、すぐに元の木阿弥。
当人が周りなり誰かに与えているものよりも、周りや相手から与えられているもののほうがずっと多いことに気付くことすらなく、自分が十分に与えられていないことが不公平だとすら思っている。(口では全く違うことを言っていたり、本人も自分の言っていることを信じてたりすることもよくあるけど)


こういう人の近くにいると生気を吸い取られる。


別に、こういう人たちが悪いだの、どういう人たちが良いとかではなく、
誰もがどう「すべき」だとかでもなく、
自分が「どう関わっていくか」、で。
私は「エネルギーバンパイア」、「クレクレ星人」とはもう関わらない。
喜ばせなければ寄ってこないわけで、
エネルギーを吸い取れなければ、自分の求めるものがもらえなければ、来なくなるから。
喜ばせれば何度も何度も戻ってくるわけで、
もう来ないで、といってもわからなければ、
あっちへ行って、といっても逆切れすれば、
何をしていようが、言ってこようが、
真に受けず、受け流して、
肯定するのでも、否定するのでも、
喜ばせるのでも、怒るのでも、諭すのでもなく、
無視すればうっとうしいことになるときは、
期待しているものとは全く違うとんちんかんな応対で、
本当にきちんと対応しなければならない場面があったときのみ、
きちんと誠意ある、隙のない対応をして、


自分は自分で、良い氣で、エネルギーで自分を満たしていくよう、
自分のやることをしっかりやって、回転させていこう、と。
自分の周りは良いエネルギーを流せる、回していける人だけでいい、
ってね。
心から思う。

「あるがまま」にものを見る

「あるがまま」「ありのまま」にものを見る、ということ。


ただそこにあるものをそのまま見れば見えるのに、脚色してしまったり、自分で余計な意味をつけてしまったり、
心の中の歪んだレンズや着色フィルターを通してでは、あるがままにものごとは見えない。


人間はすべてのものごとに意味を求める。
理由や答えを探そうとする。
そして何の意味もついていないものごとにでも、
自分の「快」「不快」にもとづいて、憶測や希望、願望や不安や恐怖からイメージを膨らませたり、
無意識に関係のないものごとどうしをを関連付けて、無理やりにでも意味をこじつけたり作り出したりしてしまおうとさえする。


そして「良い」「悪い」、「正しい」「間違っている」で判断しようとする人もまだ多い。
○○はこうだから、正しい、間違っている、良い、悪い
何が正しい、どちらが正しい、
まるで万人に対する唯一絶対の答えがあるかの如く。


「わぁ、良いお天気~」、といえば「晴れ」を誰もがイメージするだろうけれど、
たとえば干ばつ続きの土地ならば「良いお天気が「どしゃぶりの雨」かもしれない。


良い人、悪い人、良いこと、悪いこと、
それはもちろん、
嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、悔しいこと、腹が立つこと、
自分にとって、自分の周りにとって、多くの人にとって、
と、それぞれいろんな規模にとってあること。


立場を変えると、それが全く違う意味や、逆の意味になったり、
それが一個人にとって、小さなグループにとって、大きな集団にとって、
であったり、


じゃあ何が、どちらが「良い」「正しい」、「悪い」「間違っている」と唯一絶対の答えを探して判断しようと考えるのではなく、


ただそのものごと、事実があるだけ、ということ、
そのものごとには、良いも悪いも、正しいも、間違っている、も
何の意味もついていなくて、
ただそのものごとがそのままあるということ、それをありのまま見るということ。


誰か人についても、
「嫌な人」「好きな人」と感情ベースで判断して、「良い人」「悪い人」と頭で決めつけようとするのではなく、


このような状況ではこう反応する人、であったり、


どんなものごとや人にしても、
「良い」「悪い」で判断していると、
関係のないことまで「良い」人だから、「悪い」人だから、
と結びつけてしまうことになって、
本質が見えなくなってしまう。


「良い」「悪い」も、状況次第、立場次第、規模次第、
で見え方が変わるものであること、


ある状況で「良い」とされていることが別の状況だと裏目に出てしまうこともあれば、ある状況では「悪い」とされていることが強味になることもあれば、
もちろん自分個人にとって不都合であったり、不快であったり、有害であったり、
また好都合であったり、喜ばしいことであったり、有益であったり、
多数の人にとってもそうであること、そうでないこと、
いろいろとある。
すべてひっくるめて「ただそういうこと」であるということ。



いろいろなものごとや人に対しても、
ただそのものごとや、人をそのままに、
○○だから良い、○○だから悪い、
をつけずに、見ること。


そこに何の意味も探そうとせず、何の味も付け加えずに見るとそれそのものの、ありのままの姿が見える。

人の気持ちが理解できない人

他人の気持ちが理解できない人


っていうのは、自分の視点しか持っていない。


自分が相手や他人の言動(様子)をどう感じるか、
そしてそれに反応するだけ。
相手が何をどう感じているか、どう感じるのか、考えるのか、
という視点を持っていない。
あくまでも「自分が」どう感じるか、
誰かを見て、その人の言動やらを見て、「自分が」何を感じるか、「自分が」どう感じるか、
「その人が」何を感じているのか、どういった状況で、何をどのように見て、感じて、考えるのか、という相手の視点に立つ、という考えを持っていない。
なので、相手を全く理解することなく、自分が感じたままに反応するだけ。


怒っている人がいたら、「なんか嫌な感じ」「怖い」「近づかないでおこう」、とか
「なんでそんなことに怒ってるんだろう」(「今の状況の自分なら」そうじゃないのに)、とか、


泣いている人がいたら「悲しいんだ、かわいそう」
楽しそうにしている人を見たら「悩みなさそう」「幸せなんだ」
とか、


表面に見えるものそのまんま。
うわべだけしか見ていない。


怒っている人にしたって、深く傷ついているからだったり、
泣いているからって、深く傷ついているわけでもなければ、 一時的に感傷的になっているだけで次の日や10分後にはけろっとしているのかもしれないし、
楽しそうにしている人にしても、本当はすごくつらいときでも、自分の気持ちを上げたり、周りの人を楽しい気持ちにさせようと、そう振る舞っているだけかもしれない。


そしてその人の内側を見ることなく、表面的に目で見えるもの(言動、態度とか)に自分も表面的に反応、対応するだけ。
人が怒っていればなだめようとして、悲しんでいれば慰めようとする。
これがもっとも多い一般的なタイプで、他に顕著なタイプとして、


  1. 相手の反応に疎い、無頓着なタイプ
    ー人にどう思われても別にいいと思っているタイプ
    (自分は自分、他人は他人、と自分をしっかりと持っていて、他人を尊重する、というのではなく、他人は関係ない、どうでもいい、という自己中心的なずれた意味で、
    相手の反応すらもきちんと見ていない、目にも入っていないことが多々あるので無神経なことを言ったりしたりする
  2. 相手の反応に過敏なタイプ
    ー自分が人に、相手にどう思われるか常に気にしているタイプ
    一見すごく相手や周りに気遣いしているようでも(本人もそう思い込んでいることが多い)、これを言ったら、したら、相手に好かれるか、気に入られるか、嫌われないか、感謝されるか、「自分がどう思われるか」、という自分の気持ちが常に中心なので相手の気持ちを理解していない

がいる。両タイプともそばにいると非常に消耗する。


相手の気持ちを理解するということは、
相手の状況に自分を置いて、相手の立場に立って、その人の価値観や感性でものを見る、感じることを理解する、


ということで、
今の自分の状況や立場、視点から、自分の感性でものごとを見る、考える、ということではないということ。


たとえそれができなくても、
少なくとも自分の視点から表面的に見えるものだけで相手を判断したり、決めつけたり、否定したり(相手のために良かれと思って無理解で「こうするべき、こうするべきじゃない」ということも相手を否定すること)しないだけでも、「わかったつもり」よりはずーーーっとマシ、だと思う。