ミクロな存在

何年前だったかな

高層ビルだか、展望台だかから下を見下ろすと、

小さな黒い点がいっぱい動いてる、

道行く人々は小さな蟻みたいで


たくさんのビルの小さい窓の数々

きっとそのそれぞれの中にも人が動いていて、

下に見える蟻サイズの人々より小さくて


それぞれの窓の中ではいろんなストーリーが展開していて、

いろんな感情がひしめいたり動いたりしていて

笑ってたり、怒ってたり、悩んでたり、

いろいろあって、


そこにはいろんな世界があるわけで、

そこではそれぞれ「重要」なことがいっぱいあって...



それは私が見渡した景色のほんの一部であって

地球儀で見たら、爪楊枝の先の点にもならないくらい

小さな範囲で


地球にしたって、

天の川銀河の中では太陽系全体だってすごく小さなエリアで、

私たちから全天、まるで全宇宙、みたいに見える天の川銀河にしたって、

宇宙全体からして見れば数え切れないくらいある銀河の一つで、


微粒子サイズもあるかどうかの地球ひとつ、どころか、銀河系ひとつ消えたところできっと宇宙全体から見たら、気づきもしないくらいのことで



高層ビルから見ただけで蟻のような人間が

それぞれ抱える悩みやら、夢やら、希望やら、野望やら?

いろんな感情、

生きてきた人生、

大切に思っているものとか、

みんなあるわけで、


ふと、もののけ姫、の中に出てきた、もののけを支配しようとする人、確か手を失う人、のことが頭をよぎったりして


Big deal.


そんな小さな人間がたとえ地球を支配したところで、

宇宙から見たら砂漠の砂粒ひとつ

それもたとえ100年生きたところで、

138億年の宇宙の歴史から見たら、やれ1万年だの、数十万年の推定範囲だの、ふうん、みたいな、

100年なんて瞬きの一瞬にも満たない、

浮かんでは一瞬で消える泡のようで、


あまりにも微小で儚く


小さな小さな星に住む

小さな小さな人間の

泡のような一瞬の

命や人生


だから価値がないんじゃなくて、

だからこそ虚しいことにとらわれず

大切に生きたい、

というのかな

速くなる時間

時間が飛ぶように過ぎていく。


子供のころは時間が長く感じたのに。
だんだんと時間が過ぎるのが速くなっていくような気がする。


生きてきた時間分のいくつ、っていう分母にあたる生きてきた時間が長くなる、大きくなるにつれて1時間なり、一日、一か月、一年が短く感じるからだろうか。


一日が1分みたいに、一週間が数分みたいに、一か月が一日、一年が一か月みたいに感じる。
数か月前、数年前のことですらつい昨日とか数日前とか、そんな感覚。


年配の人たちって、どうなんだろう。
子供のころは、おじいちゃんやおばあちゃんみたいなお年寄りの人にとって数十年前ってはるか昔の遠い日みたいに感じるのかな、って思っていたけれど、
年配の人たちにとって数十年前のことってつい昨日のことみたいにクリアに覚えていて感じられるのかもしれない。
すごく遠くてすごく近い日々。


時間って「今」しかなくって、この「今」ですらもう過去で、
時間は直線状に過去から未来に流れているのではなくって、
巻き戻すとか早送りとかビデオテープやカセットテープみたいなものではなくって、
一点にに刻み込まれていくもので、
ディスクに記録されていくようなもので、
ホログラムみたいな。


過去の記憶にアクセスするのに一秒ずつ一分ずつ巻き戻すみたいに戻していくのではなくって、いきなりある時間、一点にアクセスするように、


あ、話が逸れた。-私にはよくあること。(苦笑)


「今」しかない時間も、その「今」だって絶対的な一点があるわけではなくて、
限りなく、限りなく、どれだけ小さく絞り込んでも、
量子の世界、
とらえどころのない粒子で、波であって、


時間のない世界、
永遠、って、


時間って、プロセスのために作られた概念?
エネルギーを生み出すための。


エントロピー
熱力学の第一法則
発達心理学
ダークマター
etc,. ..


現代の人類のインテリジェンスをもって、わかっていることは宇宙のたったの約4%、96%は未知。


自分を含め人の心の暗闇、深淵をのぞき込むよりは、
興味深いことがいっぱいある
ありすぎる。


だから時間が過ぎるのが速いのか。(笑)

先の自分から見た今の自分はいつも愚か

数年前の自分を振り返って、
いろんなことにおいて馬鹿だったり愚かだったと思う。
1年前の自分を振り返って、
やはり馬鹿で愚かだと思う。
いつの自分を振り返っても
馬鹿で愚かに思える。


今の自分のほうが賢いって思ってるわけで、
でも、そんな今の自分のことを、一年後の自分は
「馬鹿で愚かだと思う」ってきっと思っていて、
その一年後の自分のことも、もっと先の自分は
「馬鹿で愚かだと思う」って思ってるわけで。


いつの自分ももっと先の自分からしたら「馬鹿で愚か」に思えるってことは
それだけ自分がその時よりも成長したからであって、
いつの自分も「馬鹿で愚か」なのはいただけないような気がするけれど、
成長し続けることが大切なことで、
いつだって完璧や万能にはなれないわけで、
その時のベストな、自分がベストだと思う選択や行動をとり続けることしかできなくって、
要領悪かったり、失敗しても、
それだって、やってみてはじめて分かって、そこからどう改善するとか、違うやり方なり、試行錯誤で、
納得できるまで、


いつの「今」もそうやってきた結果で経過で、
今の私には過去の自分のことはよくわかるけれど、
過去の自分に今の自分に見えたり、理解できることはわからない。


そして、今の自分に先の自分が当たり前のように理解できたりできるようになっていることだって、今の自分にはまだわからなかったり、できなかったりするっていうことで、


それも今の自分があるからこそ、
自分がやっていくことによってからこそ、
わかるようになったり、できるようになったりしていくことで、


ただぼーっと何もさほど考えず、惰性とか頑固でとか、同じやり方とか、失敗しても繰り返し続けたりしていたら成長はしないわけで、


自分が成長しないっていうのは、いやだな。
それでいいっていう人もいっぱいいるんだろうけれど。
っていうか、そんなことすら考えないひとも多いのかな。
それでハッピーになれる、自分を好きでいられるならいいのだろうけれど、
私はそうじゃないから。


数年後の私は今よりもきっとずっと賢い(はず)(笑)。
でも今の私はいきなりとか一瞬では数年後の自分にはなれない。
だから、数年後の自分が今の私のことを馬鹿で愚かだと思っても、
だから今のあなた(数年後の自分)がいるんでしょ、って。
今の自分にはまだ見えないもの、わからないこと、できないこと、
たくさんできるようになっているように、
その時の自分には
何が見えているのかな、
何をどんな風に思っているのかな、


幸せな気持ちでいられるように、
答えをひとつひとつ見つけていきたい。